こんにちは!フィリピン留学中のかにゃです☆
日本は暑いですか??
こちらはここのところ寒い日が続き、ダウンジャケットを着込んだりして過ごしています。
フィリピンと言っても、ここは標高1500mの山の中なのです\(^o^)/♡
学校から見える景色です♡
たまに見る星空がとても綺麗です♪
wifiがうまく繋がらず、5日振りの更新となってしまいました。
楽しみにしてくださっていた方々、ごめんなさい><。
さてさて、今日はしゃぶしゃぶについて・・
なぜしゃぶしゃぶ??
必ず授業で話題になるしゃぶしゃぶ。
と言っても、私が日本料理が恋しいと言ったときに必ずしゃぶしゃぶを食べたいと言うからなのですが・・
何故かというと、フィリピン人も韓国人も良く知っている料理だからです。
が、しかし!!!
そこで、みんなの議論がはじまります。
何故か・・
韓国人は自分の国の料理と言い張る。
台湾人も自分の国の料理と言い張る。
勿論、私も自分の国の料理と言い張る。
あるフィリピン人の先生は、しゃぶしゃぶは韓国料理と言い張る。
別のフィリピン人の先生は、中国料理、台湾料理と言い張る。
多数決的に負けてしまうのです!!
しゃぶしゃぶは日本料理じゃないの??!
学生時代しゃぶしゃぶ料理屋で働いたことがある私としては、
う〜〜悔しいっ!!
音の語源から、日本語だよと言い張るものの、確かな証拠がありません。。
以前日経スペシャル未来世紀ジパングというTV番組でも某日本しゃぶしゃぶ屋さんが
台湾進出するドキュメンタリーをやっていて、元々興味はあったのですが・・・(コチラ☆)
ということで、また調べてみましたヾ(*´∀`*)ノ
調べてみるとそうなの!!!?
ということが分かりました\(^o^)/
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秀逸なネーミングで日本に定着、モンゴル生まれの鍋料理「しゃぶしゃぶ」
戦後まもなく「牛肉の水だき」誕生
しゃぶしゃぶの歴史を探ってみると、1人の人物に行き当たる。
吉田璋也(1898~1972)。鳥取県出身。医師にして、民藝運動家。
この吉田こそが、しゃぶしゃぶ誕生のキーパーソンなのだ。
第2次世界大戦中、吉田は軍医として北京に赴く。そこで出合ったのが、「シュワンヤンロウ(シュワンの字は「さんずいに刷」、ヤンロウは「羊肉」)という鍋料理だった。
「シュワン」は、すすぐ、ざっと洗うという意味がある。薄切りにした羊肉を湯にサッとくぐらせ、タレにつけて食べる。シュワンヤンロウは、寒い冬に食べる、北京の代表的な鍋料理である。
終戦後、日本に帰ってきた吉田は、京都に2年ほど住んでいた。その間、京都の祇園にある料理店「十二段家」の2代目主人だった西垣光温にシュワンヤンロウの調理法を教え、メニューの開発にも協力した。
当時、羊肉は手に入りにくかったため、牛肉で代用。さらに味付けも日本人の口に合うよう、昆布ダシを加え、材料もタレも和風にアレンジした。そうして完成したのが、しゃぶしゃぶの原型「牛肉の水だき」である。1946(昭和21)年の秋、戦後まもない頃のことだった。
源流を辿るとモンゴルに行き着く
今となってはすっかり北京名物のシュワンヤンロウ。だが、そのルーツは、さらにモンゴル(現在の内モンゴル)にまで遡る。
モンゴルの冬は厳しく、連日氷点下30度に達することもある。一説には、屋外に置いておいてカチンカチンに凍ってしまった羊肉を、なんとか食べようと包丁で薄く削ぎとり、湯に溶かして食べたのがシュワンヤンロウの始まりだという。その後、中国へ移住した回教徒を通じ、北京一帯に普及した。
引用:live door NEWS「秀逸なネーミングで日本に定着、モンゴル生まれの鍋料理「しゃぶしゃぶ」」
なるほど〜〜〜〜。
元々はモンゴルだったのか。
でも、それを日本人がオリジナル化して今のスタイルにし、広まったのが「しゃぶしゃぶ」だったんですね!
海外から取り入れて、日本人が改善して、大衆化して、更に海外でブレークって、
結構ほかの製品でも結構ありそう^^*
海外に行くといつも思うのが、日本製品の品質の高さと技術とアイデアの凄さです!!\(^o^)/
また日本って凄い!というタイトルで書いてみようかな^^*
今週は勉強しますよ〜〜!頑張ります!!
それでは皆様も素敵な週末を〜〜♪
*Kanya*
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